「責任の法則」
自分と他人の責任の限界や境界線を確立すれば、自分の義務をしっかりと果たし、それ以外は、人に任せることができる。そうすると、人とのつきあいが調和のとれた協力的なものになり、他人への奉仕に、一層の喜びを見出せるようになる。
平穏な心を手に入れるには、宇宙の総支配人の職を辞さなくてはならない。…ラリー・アイゼンバーグ
「団結すれば立ち、分裂すれば倒れる。たくさんの人でかかれば仕事はずっと楽になる。」「寄れば文殊の知恵」
この原理は、さまざまな言葉を使って表現されてきましたが、実際、協力して働く時、私たちは、高層ビルの建築や芝居の上演など、一人ではおよそ不可能な大仕事をやり遂げることもできるのです。
人々が協力して働く時、各人の分担する責任の程度はさまざまです。時には、一部の人の働きばかりが目を引くかもそれません。しかし彼らの努力が実を結ぶのも、他の人たちの支えがあってのことなのです。ロック歌手も音響技術者がいなければコンサートはできません。会社の社長やCEOが、有能な秘書なしに会社の経営ができるでしょうか?政治やビジネスの世界で名をあげる人たちの陰には常に、たくさんの人々の支えがあるのです。
家族も会社も国家も、その内部で責任ある協力が得られれば栄えるし、得られなければ崩壊します。私たち人間の身体の機能も、内部器官が協力し合って初めて維持されます。
他人に協力するには、まず、自分自身の内部を調和させ、統合することが肝要です。自分の内なる家を整理し、矛盾する「いろいろな自分」の葛藤、たとえば対立するアイデンティティーや信念、価値観や見方などを統合させなければなりません。そのためには、右脳と左脳の連携を強化する必要もあるでしょう。調和を見出す第一歩は、調和していない部分を見つけることから始まります。「両方」か「一方」か、「はい」か「いいえ」か、「すべき」か「すべきでない」かなど、自分の中で、対立する考えがあるかどうか確認してみましょう。内部の部分同士に働きかけ、全体を調和させる方法にはいろいろあります。自分の中にある自分への働きかけ、声の対話、神経言語学プログラミング、錬金術的催眠療法、その他、左右の脳の統合を助ける教育などもそうしたアプローチの一部です。
私たちは、自分自身、他人、環環との関係において、力の均衡点を見出し、自分が負うことのできる責任の適切な範囲と限界を定めなければなりません。そして自分の価値観やニーズは、両親や兄弟姉妹、配偶者、他の人たちと異なって全くかまわないし、むしろそれが当然だと認めましょう。
他人への奉仕や、誰かを支えてあげたいという衝動が強い人たちの中には、自分と相手がへとへとになってしまうほど、過剰に協力する人がいます。過剰協力がひどくなると、共依存に陥ります。共依存とは、他人の人生に過剰に関わり、その人から何も返ってこないのに与え続け、自分の欲求を無視してしまうことです。共依存的な人々は、親や友人、従業員としての一般的な義務のレベルわはるかにに超えた過剰な責任を負い、自分の価値や自尊心、さらにはアイデンティティーのすべてを「どれくらい他人に奉仕できるか」という観点から判断します。いつも他人の要求を最優先するので、人からはぞんざいに扱われ、なかには奴隷のようにこき使われる場合すらあります。共依存の元凶になる、過剰協力を生み出す原因は、偏った、あるいは過大な責任感です。他人の蒔いた種は他人に刈り取らせ、反省させればよいのに、彼らは自分が泥をかぶり、他人の尻拭いをして歩くのです。過剰な協力を受けた人が、文句を言うことはまずありません。「気が利かない!」なんて言われることもないでしょう。しかし、親切心の振り子が過剰協力に揺れすぎると、いずれは反対方向への揺り戻しが来ます。方向転換には数日、数週間、数か月、それとも何年もかかるかもしれません。しかし遅かれ早かれ、それは起こります。過剰協力の反動で、非協力的になった人は、妥協の余地なくけんもほろろに拒絶するか、あるいは感情的には嫌だと思いながらも、他の人々のために仕事をし続けます。こんな状況が続けば、いずれその人間関係は途絶えます。しかし、このように協力の問題で深く、あるいは慢性的に崩れた人間関係を修復し、復活させることも可能です。与えることと、受け取ることの間に新しいバランスを見出し、互いに支え合う関係を築いた時、奇跡は起こります。そのためには、率直なコミュニケーションをとり、対等に責任を分け合い、共依存傾向にある人の「支えてあげなくてはならない」という心理的な重荷を取り除かなくてはいけません。新しい協力関係のバランスを築く責任は、主に共依存傾向にある人のほうにあります。

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